基礎は石造、外壁はモルタル櫛目引きで、南面と東面にめぐらされた重層のコロネード(列柱式)べランダ、その張り出し部の上には三角形のベジメント(切妻のこと)があって、棟飾りや唐草模様の装飾がついています。
ベランダは、はじめ開放されていましたが、日本の風土に適さないために、窓がはめこまれました。
美しくデザインされた窓枠から、ベランダいっぱいに拡がる光は、それ自体が美しい絵画になります。
室内は、1階に玄関ホール、書斎、食堂、応接室などがあり、各出入□の上にはブロークン・ベジメントと呼ばれる額縁、大理石のマントル・ピース、チークの床材、ブロンズのシャンデリアなど、当時の豪華な面影をしのばせます。また階段の踊り場には、英国から取り寄せた美しい色模様のステンドグラスが素晴らしく、英国のジ∃一ジアン風の趣きを呈しています。
この建造物は、当時の富裕な外人生活の―端をうかがうに足る、いわゆる異人館の好標本であり、緑の山々をバックに、洋風の庭園とよくマッチし、細部にまで神経のゆき届いた意匠とあいまって、この時代の異人館の最もすぐれたものといえます。
内部を一般公開しています。
公開している月、日時はイベントページをご覧ください。
(入館料は無料です。動物園入園料は必要です。)
この建造物は、木骨煉瓦造2階建塔屋付、屋根は寄棟造、日本で最初の時期の石綿スレート葺で、天井裏は洋式小屋組になっています。
所在地:神戸市灘区青谷町1丁目1番4号
管理者:神戸市
構 造:木骨煉瓦造2階建塔屋付、外壁モルタル櫛目引、寄棟石綿スレート葺
1階 263.307㎡ 2階 277.794㎡ 3階 (塔屋)22.869㎡
玄関ホール
玄関タイル
ステンドグラス
ブロークン・ペジメント
ベランダ
マントルピース
元、寝室
この建造物は、もと神戸市中央区北野町3丁目にあったものを、昭和38年に現在地に移築したもので、現存する神戸の異人館の中では最大級のものです。
この建造物が、最初に作られたのがいつかは、はっきりとわかっていませんが、明治22年頃ドイツ人のA・グレッピー氏が、英国人の技師に依頼して作ったものといわれています。
その後、英国人のE・H・ハンター氏が、北野町背後の高台に居宅を作るにあたり、この建物を買い取り、改造して現在にみる建造物に仕上げたもので、棟札に「上棟式範多氏」「40年5月吉日 棟梁芝嶋吉 建」と墨書されています。
創 建 | 明治22年頃 | 神戸市中央区北野町元トーア・ホテル跡 |
移築・改造 | 明治40年 | 神戸市中央区北野町3丁目130番地 |
移 築 | 昭和38年9月30日 | 現在地 |
指 定 | 昭和39年3月9日 昭和41年6月11日 |
県指定重要文化財 国指定重要文化財 |
エドワード・ハズレット・ハンター(Edward-Haslette Hunter)氏は、1843年(弘化3年)英国アイルランド州ロンドンデリー市に生れ、1864年(慶応元年)21才のとき横浜の商社員となり、神戸港が開港されるとすぐに神戸に移り、小野浜にできた造船所に入りました。
その後独立してE・H・ハンター商会を設立する一方、大阪安治川□に大阪鉄工所(現在の日立造船)を創設するなどのほか、精機・精米・煉瓦・煙草などの会社をつくり、当時のわが国産業界に大きな貢献をしました。
ハンター氏夫人は、大阪の薬種問屋平野氏の娘愛子で、夫をたすけると共に、婦人会・日本済生会・神戸保育院などの公共事業に力を尽くし、賢夫人の誉れが高い方でした。
ハンター氏は1917年75才で永眠し、神戸の再度山修法ヶ原外人墓地に葬られています。